〜800年の時を越えて島に息づく、悲運の帝の歴史と独自の島時間〜

隠岐諸島のひとつ、中ノ島に位置する海士町(あまちょう)。青く透き通る海と豊かな自然に囲まれたこの美しい島は、日本の歴史の大きな転換点となった舞台でもあります。今から約800年前の鎌倉時代、承久の乱(1221年)に敗れた後鳥羽上皇が配流され、崩御されるまでの約18年もの歳月を過ごしたのが、この海士町でした。

都から遠く離れた島で、上皇が過ごした約18年

当時の隠岐は、都から遠く離れたまさに「流刑の地」でした。かつて栄華を極め、和歌や音楽、蹴鞠などの諸芸に優れた文化人であった後鳥羽上皇にとって、過酷な自然環境や限られた生活物資が待ち受ける島での生活は、計り知れない孤独と苦悩の日々であったと伝えられています。

しかし、上皇はただ失意のまま過ごされたのではありません。島民との温かな交流や自然の中での思索を通じ、和歌を詠み続け、自らの心の内を数多くの歌に託しました。ここで詠まれた歌の数々は、のちに『隠岐本後鳥羽院御集』として編纂され、後世の日本文学や和歌の歴史に深い足跡を残すことになります。

【歴史の面影を感じるスポットと文豪の視点】 海士町には、上皇の行宮跡とされる「隠岐神社」や御火葬塚が静かに佇んでいます。約18年という長い年月をこの島で暮らした上皇の気高さと、島民に温かく迎え入れられた歴史の記憶は、今なお島の大きなアイデンティティとして大切に受け継がれています。

また、のちに明治の文豪・小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)も隠岐の地を訪れ、その独自の風土や人々の温かさに魅了され紀行文に残すなど、隠岐は古くから多くの表現者たちの心を捉えてきました。

歴史を巡る旅と、島ならではの暮らし・リズム

豊かな歴史ロマンを感じに多くの方が訪れる海士町ですが、島を訪れる際や滞在する際には、離島ならではの暮らしの背景を知っておくとより一層深い体験になります。

大型連休などの観光シーズンや繁忙期には、本土からの来島者が急増し、宿泊施設や交通機関が大変混み合います。また、島内では生活物資の流通制限やフェリーの運行状況に影響が出ることも少なくありません。さらに、行政機関は土日祝日が休業となり、民間事業者(商店や飲食店など)においても水曜日や日曜日を固定の定休日としているケースが多く見られます。

平日の日中は、朝のフェリーや貨物の到着に合わせて日々の業務や買い出しが動き出し、それぞれの仕事や生活の営みが粛々と進みます。夜や休日には静けさと豊かな自然が戻る——そんな独自の生活リズムや時間の流れを守りながら、島の人々は歴史や文化を大切に守り続けています。

島を訪れた際には、美しい景色や新鮮な海の幸だけでなく、かつて上皇や文豪たちが感じたかもしれない同じ風や海に触れながら、時を超える歴史のロマンに思いを馳せてみてはいかがでしょうか。